彼は食堂へ行って、簡単な食事を済ますと、和服に着かえてあいている座席に長くなった。そして十一時ごろボーイに起こされ、尾の道で下車した。
旅行案内に出ている宿屋は二軒とも停車場の前にあった。彼はその一軒へはいった。思ったより落ちついた家だったが、三味線の音が聞こえていたので、彼は番頭に「なるべく奥の静かな部屋がいい」と言った。
二階の静かな部屋に通された。彼は立って、障子をあけて見た。まだ戸が締めてなく、内からさす電灯の明りが前の忍び返しを照らした。その彼方がちょっとした往来ですぐ海だった。海と言っても、前に大きな島があって、河のように思われた。何十隻という漁船や荷船がところどころにもやっている。そしてその赤黄色い灯の美しく水に映るのが、いかにもにぎやかで、なんとなく東京の真夜中の町を思わせた。
金火鉢を持ってはいって来た女中が縁側にいる彼に、 「おあぶりやす」と言った。彼は黙ってはいると、障子を締め、火鉢の前へすわった。女中は抹茶と菓子を彼の前へすすめた。
「今からでもあんまを頼んでもらえるかい?」
「えーえ、あんさんのためなら」となれなれしく言って女中は出て行った。あまりなれなれしいので彼は普通の宿屋でない家へはいったかしらとちょっと思った。
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